創設者
書道は東洋伝統の芸術として中国はもとよりわが国においても人間教育の重要な教科として位置づけられてきた。しかし明治時代に入り、西欧の学術を学ぶことに忙殺され、学校教育おいて書道は教科としての独立制を失い、実用書写の域にとどまって、専門の学芸としては殆ど顧みられなくなった。
このように長年書道の専門的研修が学校教育から放置されていたために、今なお、適当な指導者が少なく、他の芸術科、音楽・美術・工芸に比してその理論・実技の習得において著しく劣っているところがある。
わたくしは昭和25年財団法人日本書道教育学会を創立し、現在20万人余の会員を擁し書道の普及と研鑽に大きな地歩を占めている。また文部省認定(昭和34年)の書道通信教育は、現に毎年3万人の受講生を擁し、昭和47年開設の書学院では、既に7,000人(平成13年現在12,000人)の卒業生を出した。
今や書道は空前の復興期に入り、書芸の研修と指導者養成の急務に迫られている。
このような時機において我が財団法人日本書道教育学会は往年の書道教育の経験を生かして、さらに充実した研修と学・芸・道三位一体の指導者の養成を使命とする専門学校を設立し、世の要請に応えんとした。
石橋 犀水(いしばし さいすい)
明治 29(1896)年 | 福岡に生まれる |
45(1912)年 | 小倉師範学校入学、書を西川萱南に師事する |
大正 6(1917)年 | 文検習字科に合格 比田井天来の門を叩く |
8(1919)年 | 広島高等師範入学 |
10(1921)年 | 広島高等師範卒業。小倉師範教諭となる。 |
昭和 7(1932)年 | 小倉師範教諭を辞し、広島文理大に入学 |
10(1935)年 | 広島文理大を卒業、広島高等師範講師となる |
11(1936)年 | 広島陸軍幼年学校教官を兼務 |
14(1939)年 | 比田井天来のあとを継いで東京美術学校(現芸大)講師となり、東京陸軍幼年学校教授を兼務 |
15(1940)年 | 国民学校習字教科書の編纂委員となり、教師用書を執筆 |
17(1942)年 | 中学校・高等女学校・師範学校習字教科書を執筆 |
21(1946)年 | 第1回個展開催(東京銀座三越) |
23(1948)年 | 書道教員検定試験委員となる。日展三科(書)創設、無鑑査出品 |
24(1949)年 | 新潟大学教授となる |
25(1950)年 | 日本書道教育学会を創立 |
31(1956)年 | 第2回個展開催(東京都美術館) |
32(1957)年 | 文学博士の学位を受ける。日本書道教育学会が本邦初の書道財団法人を取得 |
37(1962)年 | 相模女子大教授 |
38(1963)年 | 二松学舎大教授 日展審査員 |
39(1964)年 | ユネスコ国際美術教育会議のため渡欧、日本書道について講演 |
41(1966)年 | 第3回個展開催(小倉、姫路、東京、新潟) |
45(1970)年 | 勲三等瑞宝章を受ける |
47(1972)年 | (財)日本書道教育学会、書道教室書学院を創設 全国主要都市6カ所に展開 |
48(1973)年 | 第4回個展開催(日本橋三越)「朝日二十人展」出品漢字かな交じり書「新和様」を提唱 |
50(1975)年 | 第5回個展開催(東京セントラル美術館) |
52(1977)年 | 伊東市川奈に東洋文化不二研修所を設立 |
53(1978)年 | 日本書道藝術専門学校創設 |
56(1981)年 | 第6回個展開催(東京セントラル美術館) |
59(1984)年 | 日本書道藝術専門学校、書道の専門学校として本邦初の学校法人を取得 |
主な著書
- 中国書道史序説
- 定本書道全集(楷書分担執筆)
- 書道十講
- 書道教育図説
- 新書道概論
- 学書通論
- 入門書道講座
- 犀水千字文(楷行草三巻)
- 新和様(全三巻)